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  • 千種の古城を確認する会

NO.6(附)千種町七野 大橋袂の「道標」

更新日:2020年11月7日

 「行者山」と言えば、「奥西山さんぽ」の関連踏査で明らかになった七野大橋の道標が思い出されます。大橋の東詰には、高さ101.0cm、横幅44.5cm、厚さ(奥行)48.0cmの花崗岩製の自然石を加工した道標が建っています。中央最上部に大日如来の簡略化した梵字が彫られ、中央の最下部には「道」の字を認めます。右側には、「右 ちくさいなハ」、左側には、「左 さくしう行者」とあり、南向き (千種川の下流向き)に建てられていました。この事実から考えて、この地点で北に向かう道は左右に分かれていたことが理解されます。即ち、千種川に沿って北上すれば、「ちくさまち」、そして「いなハ=因幡 国(鳥取県)」に至ることを示しています。また、左に進むと「さくしう=作州 (美作国=岡山県)」に至るとともに、「行者(行者山)」の方向を特記して明示しているのです。そのことは、南の方向から信仰の対象である「行者山」を目指して、参拝に訪れる人々が相当数存在したことを裏付けています。

 なお、この道標の左側面には、「明治十二年卯七日」、横に「七野村」とあります。この道標が七野村によって明治十二年旧暦の4月7日に建立されたことを指しているのです。「左 さくしう行者」の方向を目標にした人々は、現在の大橋の有る地点で千種川を渡った後、「室村(むろむら)」の集落を経て、奥西山の「堂坂」方面に至ったものと考えられます。近年では、「行者山」と言えば、「板馬見渓谷」からの登山ルートばかりが常識のようになっていましたが、「奥西山ルート」がより一般的で、著明であったことが考えられます。


               千種町七野大橋袂の道標

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