(9)門前隣保入口の 「光明真言百万遍供養塔」
「奥西山だより」第4号において、大仙神社下の里道を北へ120mばかり遡った東側山裾に「光明真言百万遍供養」の石塔が有りますと報告していました。この石塔の上には太い樫の木が有ったために、太陽を遮って銘文が読めなかったのです。しかし、今回改めて樫の木の技を除去していただいたので、文字の確認が可能となりました。その法量は高さ131.0 cm、横幅68,0cm、厚さ(奥行)は34,0cmです。
石塔は、自然石で、硬質の花崗岩を用いており、中央頂部に「アン(阿弥陀如来又は胎 蔵界普賢菩薩)」の梵字を陰刻しています。その下に「奉 光明真言一百万遍供養塔」とあり、さらにその下には「開蓮花」が設えられています。また、右には「慶応四辰年六月吉日」、左側には「施主 當村 門善 除五郎」と陰刻されています。
奥西山自治会の門前地下入口にある当「光明真言百万遍供養塔」の形状は、方々に一般的に存在する「石塔」のごとくみえます。また、「慶応四辰年六月吉日」とありますから、戊辰戦争のあった西暦1868年の6月吉日に建立された石塔と考えられました。しかし、色々と事情を聞きますと他の多くの石塔とは大きく違った意味があったと分かってきました。
門前地下入口にある「光明真言一百万通供養塔」
門善 除五郎さんは、地元の猟師であったので、毎年多くの「猪や鹿・熊を仕留めていた」と言うのです。けれども晩年になって、重なる狩猟によって「多くの動物を殺生したので、その霊を弔う為に、光明真言を百万遍も読経し、満願ののちに、この石塔を親族や村人の協力で建てた」と開いたのです。光明真言を百万遍も読経することは大変なことです。
また、普通の「光明真言百万遍供養培」は、村や家族の安泰(繁栄)、また祖先(親族)の供養として建てられる場合が多いのですが、今回は違った事情があったと聞き、改めて納得の上で、この石塔の珍しい意味するところを多くの皆さんに報告する次第です。
以上
追記 =「記載内容は著作権で保護されている部分があります。」
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