top of page

「奥西山さんぽ」で確認した石塔NO.7

  • 千種の古城を確認する会
  • 2020年9月25日
  • 読了時間: 2分

更新日:2021年1月16日

( 7 )堂坂の道標

 千種町にとっては 、昭和55年は記念すべき年でした。それは、千種町制施行ニ十周年に当たった年だったからです。千種町ではこのお祝いすべき年に「千種の足蹝(あしあと)」を編纂しています。この書の中に、「西山には堂坂の下に、右 しそう道、左 ちくさ道の道標がある。」と記しています。

 令和元年度の「奥西山さんぽ」に際して、先ず「堂坂とは何処なのか、道標は何れなのか」から尋ねることになりました。しかし、「しそう道、ちくさ道の道標」と言っても分からなかったのです。


 令和 2 年度になってから、本会である「千種の古城を確認する会」の事務局代表 金井 禮治さんから、「そう言えば道標を一つ預かって集落センターに置いている」との話を聞いたのです。早速に確認すると、正にこれに間違いありませんでした。当該「道標」は、元は「肥余谷(ひよたに)」の内の「堂坂」と呼ばれる場所に建っていたようですが、何度にもわたる道路整備の度に移転し、最後に集落センターに大切に保管となったようです。


               奥西山集落センター保管の道標


 しかし、ついに確認され本当に幸いなことでした。道標は花崗岩質の自然石で、高さ98.5㎝、横40.0㎝、奥行(厚さ) 33.0㎝で、建立の年号 はありません。記録に載っているとおり、「堂坂」の下に北向きに建っていたようで、正しくは「右ハ 志そうみち」・「左ハ ちくさまち」となっていました。


 右に進むと「室村」の集落を経て七野大橋方面へ、そして「志そう(宍栗郡)みち」へ、左の道を行くと西山川を渡り杉谷坂を越えて、「ちくさまち」に出たようです。そして、この道標は、「まち」中で宿をとった(宿泊した)人々も含め、「行者山」の参拝者に対する道案内標示石であったと思われます。

                                以上

Comments


  • facebook

©2020 by 奥西山 自治会 ・千種の古城を確認する会

bottom of page