※新たな驚きの大発見
令和2年度の「奥西山さんぼ」 は、去る11月8日(日) 8時30分から多くの自治会員の皆さんが参加して実施しました。自治会員以外の方々の参加は、新型コロナウイルスの流行のために次回以降に行うことになりました。「奥西山さんぼ」は、出発場所の集落センターで、オリエンテーション(解説読み)後に保管されている「堂坂の道標」を見てからウォーキングに入りました。次はセンターの北隣接地の「アサギマダラの里」づくりのフジバカマ植栽地・寛政十午年の廻国供養塔、そして、 「たたら製鉄」の関連遺跡を順次視察しました。
「真砂砂鉄」を含む花岡岩質の山肌を切り崩し、水路(走り)に落とし込んだ跡である削平地は極めて広々としていて、誰も驚きでした。次の「鉄穴流し(かんなながし)」の水路・大池の水戸口では、残存状況が大変良くて、「三段の池や排出の土砂置き場も含めて何時か整備したい」という要望も多く出ていました。その後、西の「行者山」を示す「大峯山上大権現碑」を見て、一同「永年、地元に居ながらこんなものが有るとは知らなかった」との声がしきりでした。
花闘岩質の山肌を切り崩し削平された場所
さて、今回の「奥西山さんぼ」による重ねての大収穫は、「鉄穴流し」の隣接地で、多くの「鉄滓」がまとめて放棄された場所と、「野たたら炉」の跡が確認されたことです。「鉄滓」が見つかると言うことは、「たたらの里」であった千種町内では良くあることで学術的にはさして意味のあることではありません。しかし、「野たたら炉」が「鉄穴流し」場の直ぐ近くでセットで発見されたとなると、両者は無関係ではなく、一連の作業工程に含まれていたと推察され、これは今までに無い大ニュースです。「ここは一連の製鉄工場団地があった」と考えざるを得ません。これまで全国でも「鉄精錬」の各工程を示す遺構が、隣接して、しかも複数の工程が発見されたという報告は一つも有りません。
近世の「永代たたら」については、『鉄山必要記事』や「金屋児神社」の祭文をはじめ古文書類がかなり残っていて、詳細を知ることが相当可能な状態です。一方、一般的な多くの「野たたら製鉄」の遺構は、先ずその「たたら炉」の絶対年代がほとんど不明と言うこともあり、分からないことが余りにも多く、永年にわたり研究者泣かせの状態が続いていたのです。 今回の大発見、特に複数の「野たたら炉」が、「鉄穴流し」場の直ぐ近くで確認された事実は、『鉄山必要記事』の「たたら製鉄」操業の重要必要条件とされる、「一に粉金、二に木山、三に元釜土、四に米穀安価・・・等々」について、「小規模たたら製鉄(野たたら製鉄)」でも多くの難しい要件が遵守されて、操業が行われていたことが分かります。
「鉄穴流し」隣接地で発見の鉄滓放棄地
いずれにしても、 全く不明で有った「野たたら製鉄」の実態が、全国で初めて明らかになりつつあります。このことは、これまでの「たたら製鉄」に関する神話や伝承の域から、科学的に解明する内容を含んでいると言う事実を、改めて提言しておきたいと思います。
以上
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